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 口絵信濃国分寺跡(国指定史跡)

国道18号線が、上田市街地を東へぬけるころ、右側(南方)を注意してゆくと、そこに信濃国分寺資料館がある。この館の南側、信越線の線路を中心として展開する総面積2、508平方メートルにおよぶ広大な地域が、国指定史跡「信濃国分寺跡」である。
信濃国分寺の歴史は古い。
聖武天皇が国家の繁栄を祈るために、日本の各国に国分寺創立の詔を出したのは、天平13年(741)のこととされているが(異説もある)、わが国はじまって以来の大事業であったため、全国にその建立が終ったのは、それより約30年を経てのことであろうと推定されている。
信濃国分寺も、その完成は定かではないが、おそらく当時の信濃の国力から推して、相当の年数を費していたことであろう。
かつて信濃国分寺は上田市にあることは予想されていた。しかし、確認されてはいなかった。とくに尼寺については、他町村または他郡にあるという説さえ流布されている有様であった。
ところが戦後、工場・住宅など建てはじめられて、遺跡破壊が憂慮されるようになり、文化庁・長野県・上田市等の共同事業として緊急発掘がはじめられたのは、昭和37年のことである。
以降、足かけ10年間にわたる発掘調査の結果、予想通り僧寺の遺構を検出し得たばかりでなく、これと並ぶ尼寺までその所在を発見することができ、ここにはじめて、信濃国分寺の全容が明らかとなった。
僧寺・尼寺ともに、このようにみごとに発掘し得た例は、全国的にはまれなことでもあったので、早速文化庁は、これを国の史跡に指定し、永久的に保存する方途をとったわけである。
上田市もこれに応じ、この地に信濃国分寺資料館を建設し、発掘により得た数万点の資料を保存・整理するとともに、他地域からの発掘された資料等も加えて系統的に展示し、郷土の歴史研究のため役立てている。
なおこの写真は資料館建設前に「上田小県誌編集部」によって撮影された空中写真のうちの一枚であることをお断りし、掲載について御好意を載いた関係各位に謝意を表する次第である。上段は国分寺資料館。下段は右「僧寺」、左「尼寺」跡。なお上方やや左よりに現在の国分寺が見える。
 
撮影日:
地区/自治会: 09神川/国分
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 公共施設 史跡 観光 
 
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