本書刊行の動機や経過については「まえがき」に概略を述ベてあるので重複をさけることとする。
しかし、目的が目的であったせいか、実にたくさんの方方のお世話になったことだけは、何としても申し上げておかねばならない。はじめは文字通り「塩田とその周辺」の地域や人人を対象としての企画であったのだが、まず上田市自治会連合会が総力をあげて支援して下さることとなり、その読者層は全上田市に拡大した。
その上、はじめから対象区域としていた丸子町・青木村はもちろん、御案内申上げた真田町・長門町・東部町・武石村・和田村など、小県郡全町村の教育委員会が積極的に応援して下さることとなったので、実質的には、上小全体の地域を考えなければならぬようになった。しかも予約の申込数は予定数をはるかに上まわり、地方でこんな出版は、おそらく近来なかったのではないかと消息通も言い出す状況である。
そこでこの熱意に応えるためにはと、カラー頁を倍にふやし、応援して下さった各地域の代表的文化財も収録し、なお「研究者のための頁」や「地図」なども加え、さらに特別漉きの紙を用いるなど、大幅な企画変更を行ったので、発行が約一カ月おくれることにもなってしまった。申しわけないと思っているが、内容体裁からいうと、「この頒価でよくできたもの」−−といわれるような豪華版となったのだから、それに免じてお許し願いたいと思っている。
所員一同も、編集がはじまってから実によく動いたと自分たちのことながら思う。例を写真にとれば、一つの目的物を撮影するのに、数回も通うのは通常のことで(学問的にパスできる写真は極めて限られた数である。)、かりに三千枚の写真を撮ったとすれば、のべ何百日かの日数を費しているのである。解説も同じことで、何回実際について検証し、そして原稿を書き直したかわからない。(それでも完全とはいえない。)分担は違うけれども所員は、どこかでこのような見えない労作を重ねてきた。その結果がこの書物であるが、心ある人ならば、写真なり解説なりの裏に積まれているものがわかっていただけるかも知れない。
しかしこのようなわれわれの動きに対して、心あたたまる多くの支援を忘れることはできない。文化財を所蔵管埋される寺社・個人・団体で写真取材に心よく応じてくれなかったところは一カ所もない。中には秘蔵・秘儀といわれるものまでとくに撮影させていただいたことが幾度もある。また青木村のごとき、大法寺三重塔の撮影に際して、わざわざ高さ八メートルもの櫓を、組んで下さっているのである。このような周囲の温かい支援と、所員の積極的な努力と、さらに「まえがき」にも記したような権威ある監修者・指導者の献身的な御援助によって、ともかくこの『塩田平の文化と歴史』が出来上った。
出来ばえは読者の批判にまつより仕方ないが、われわれとしてはできるだけの力を尽したつもりでいる。そしてこれが、「まえがき」にのべたようなこの企画の目的を果してくれれば、幸いこの上もないと考えている次第である。
なお、この企画をはじめ制作過程を通じて、御支援をいただいた方方のお名前も全部掲げて謝意を表したかったが、紙面が限られているので、省略させていただき、ここで各位に対し厚く御礼申し上げたいと思う。
昭和58年9月30日
塩田文化財研究所 |