遠い古代に東山道が通り、その宿駅として栄えていた「浦野駅(うらののうまや)」の近く、現在の浦野の集落から東昌寺へ登る仁王門を入った所にこの歌碑が建立された。昭和51年のことである。
万葉假名で書かれているこの歌は、次のように読まれ、東歌の中でも秀れたものとされている。
彼の児ろと寝ずやなりなむはた薄
宇良野の山に月片寄るも
この短歌は、巻14に載っている東歌の一首である。(東歌とは東国地方の歌という意味だとされている)宇良野は浦野を指しているとみるのが妥当で、この地方に住んでいた若者の詠じたものが、伝承され、東歌として万葉集に収録されるに至ったものであろう。
この一首によって、浦野の地は広く歌人・学者に知られるようになった。 |