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 解説西光寺阿弥陀堂(県宝)

西光寺は、寺伝によれば、中世塩田北条氏の庇護により、足利の鶏足寺の僧、実勝により開かれたという。また正応4年(1291)前山寺の末寺となり、その後に武田信玄の庇護を受けたともいう。
境内に南面して本堂があり、左手前に阿弥陀堂が東面して建てられ、旧参道は東より阿弥陀堂に至る。
堂は木造・平屋根・藁ぶき・寄棟・妻入りで、梁行5.34m、桁行7.21mで、建築時代については、これを明らかにする記録・棟札・墨書等は存在しないが、最近の調査によれば後述のようにその各部の様式は、室町時代後期(16世紀前半)の特色をよく示していることが判明し昭和56年県宝に指定されることになった。
この堂は間口・柱間三間、奥行同じく三間で、いわゆる一間四面になり、そのうえ前面の一間を外陣とし、後方の内陣とのさかいは、格子窓により仕切られている。
また室町時代のこの様な仏堂には、「禅宗様」の組物を使用することが多いが、西光寺阿弥陀堂でも柱の上端の粽(ちまき)・組物・頭貫・木鼻に禅宗様を用いている。このような規模の仏堂は当時在地領主の庇護によることが多く、この堂も塩田平の有力領主によって建立されたものと推定される。
阿弥陀堂は、和様一間四面堂に禅宗様の細部様式を適用したもので、側柱上の平三斗・来迎柱上の出三斗・内陣及天井をささえる虹梁が主な様式的要素である。なお中備には斗(ます)のみで下部の束、また蟇股(かえるまた)も欠く特色ある形式が見られるが、これは前山寺三重塔その他上田市周辺の室町時代の建築に多く見られる手法である。
なお本阿弥陀堂は内外ともに大改造を行って、当初の形式を失っているが、これらは文化財としての価値を大きく損するものではないと考えられる。(「県文化財調査報告書」による。)
 
撮影日:
地区/自治会: 13東塩田/富士山中組
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 4解説
登録されているキーワード: 神社 史跡 観光 
 
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