この宝篋印塔は、仏岩と呼ばれる高い岩の上に立っている。現在相輪を欠いているが、その一部は町が保存している。塔高は相輪を除いて85センチメートル。
鎌倉時代の応長元年(1311)8月の銘があり立されたもので、県下で在銘の宝篋印塔としては、最も古い貴重なものである。
塔身は四方に四仏の種子を彫り、基礎と笠の周囲には輪郭をとり、宝篋印陀羅尼を梵字で彫っている。銘文は『信濃史料』によると次のようである。
(南面)
応長第一之暦南呂上旬
□□弟子□□菩薩□□
妙法□□人生□滅罪□
出離生死頓証菩提仏果
圓満乃至法界等利益□
□印□石塔婆一基所奉(カ)
造立供養如件敬白
(西面)
肥前太守阿弥陀
□□
(北面)息女並日光峯宮□
(東面)
近江禅閤□善生□
ここに記された「肥前太守」「息女並…」「近江禅閤」がだれであるか不明である。これらがわかると、この塔の建立に関する事情が明らかになろう。 |