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 解説国分寺多宝塔と日輪石

国分寺の本堂に向かって右側、三重塔の西側に当たるところに小高い場所があり、そこにこの石造多宝塔が建っている。「相輪」(屋根の上に立った柱状のもの)がなくなり、屋根や塔身のいたるところが、たたき、くぼめられて、あばたのようになっている。(これは、この塔の石を粉にして呑むと病がなおるという昔の迷信のためという)
しかし、屋根の反りや、一層と二層の間にある円形の伏鉢(「饅頭形」ともいう)のかたちなどから見ると、おそらく鎌倉期を下るものではない。相輪は欠失しているけれども、重厚な姿を失わず常楽寺多宝塔とならんでこの地方の石造文化財の逸品である。
この多宝塔と参道をはさんで相対する位置に池があって、そのまん中にみごとな五輪塔が二基あるが、大きい方の火輪は、実は多宝塔の屋根石である。この伏鉢のかたちもなかなか古雅なもので、このような多宝塔が国分寺境内には、まだいくつもあったことを推察させる。現在の国分寺は、おそらく鎌倉時代から、霊場となっていたのであろう。
この池のほとりに有名な「日輪石」がある。石垣によって築かれた土壇の上に据えられているこの石は、江戸中期国分寺南方600mの桑畑の中から発見され、早速奉行所へ届けられた。日輪のような輪が見えるところから「日輪石」と名づけられ、国分寺へ奉納された。
実は礎石であるとわかったのは、昭和に入ってからのことで、これが「にじどう」という地籍から発見されたと奉行所への届書に記してあった。これが注目され「にじどう」は「尼寺堂」ではないかという推定が有力となった。そこでその地点からはじめられた発掘が、やがて、国分寺尼寺の全容を発掘することに成功したのである。その手がかりとなった意味で、この石は記念すべき文化財といわねばならない。
 
撮影日:
地区/自治会: 09神川/国分
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 4解説
登録されているキーワード: 神社 史跡 観光 
 
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