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 解説安楽寺安楽寺の歴史

八角三重塔によって知られる古刹安楽寺は、その開創を天長年問(824〜834)に遡ると伝え、別所三楽寺(長楽寺・安楽寺・常楽寺)のうちの一寺とされる。
この寺が記録にみえてくるのは、鎌倉前期からで、鎌倉建長寺の開山として有名な蘭渓道隆(中国の人、執権北条時頼が招いて開山とした名僧)が、「別所安楽寺方丈」に宛てた手紙や、その他の史料によると、この寺は鎌倉の建長寺と深い関係をもっていたことが知られる。
鎌倉建長寺は、周知のように鎌倉五山の第一といわれたが、道隆は「建長寺は鎌倉で、安楽寺は塩田で、それぞれ100人、50人の僧の修業場となっている」という意味のことを記している(「大覚禅師語録」)。これによれば、このころの安楽寺は、少なくとも信州では、鎌倉における建長寺と同じような位置を与えられていた寺であったと考えられる。もちろん、禅寺としては、信州では最も古い寺である。
これは、おそらく、鎌倉時代初頭から、塩田は、信濃の政治文化の一中心であり、中期(建治3年=1277)に、幕府の連署(今の副総理に当たる)北条義政が塩田城に入ったことと密接な関係があると推定される。建長寺の完成は建長5年で、義政の信濃入りよりも22年も前のことであるから、塩田北条氏の力によって禅刹としての安楽寺が生れたというより、安楽寺のような寺のある地域であったため、(当時塩田は「信州の学海」といわれていた)義政がここに落ち着いたと考えるのが妥当であろう。しかしこの塩田北条氏の援護によって、安楽寺がますます禅寺として大をなすに至ったことは、当然考えられることである。
 
撮影日:
地区/自治会: 16別所温泉/院内
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 4解説
登録されているキーワード: 神社 史跡 観光 
 
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