この塚は千曲川右岸段丘南部にあり、その北側を国道18号線が通っている。一方が約30mの方墳で、高さ約10m。頂上は一辺約9m平方の形の平地であったと推測される。
上小地方では最大級の古墳で、普通丸山親王塚といわれているが、東部町役場文書および県の史跡指定名は「中曽根親王塚」となっている。塚の周囲には、巾10〜12m程の周湟(濠)がめぐらされていた規模であるが、現在は埋められて畑地となってしまい、古いおもかげは見られない。
この塚は正式の発掘がされていないために、石室のようすや、副葬品などについては不明である。また、どのような人が葬られているかについてもわかっていない。
方墳(底面が正方形の古墳)という例の少ないかたちの古墳であり、また規模がこの地方ではずぬけて大きいことから、古代この地域に大きな勢力をもっていた有力者の墳墓であることは疑いない。
県下できわめて注目される古墳であり、かつ東信濃の古代史開明の鍵をにぎる重要な文化遺産といえよう。(『長野県史考古資料篇』)による。 |