トップ
地区名索引
キーワード検索



 口絵法住寺虚空蔵堂(重要文化財)

法住寺は丸子町内村にある古刹である。開創は貞観年中(平安時代初期)と伝え、その虚空蔵堂(こくぞうどう)は、部落の名になっているほどで、内村谷の信仰の中心として知られている。
国道254号線を丸子町の中心部から松本へ向って行けば、鹿教湯(かけゆ)温泉より約2キロメートル手前、道の右側に仁王門があるのに気づくであろう。これが法住寺の入口で、ここを北に直進すること約300m、つき当りにこの虚空蔵堂がある。
石段の上に南面するこのお堂は、入母屋造で、正面には柱が4本、側面には柱が5本立っている。古い御堂のかたちは、中禅寺薬師堂の例でわかるように(解説参照)正面・側面とも、柱の数が同じであるが、これは、側面の方が一本多い。だから、このお堂は正面からみるとややせまい感じがするが、横からみるとのびのびとした長い建物にみえる。
もともとお堂というものは、仏様を安置するために建てられたもので、民衆はお堂の外から拝んだのである。それがだんだん参詣者のため、お堂の中に拝む場所をつくるようになった。そして仏様の在す場所を「内陣」といい、拝む場所を「外陣」といっている。
このお堂は、その「外陣」がついたため、縦に長いお堂になったわけだ。前面から拝観したら、ぜひ、横にまわって、西の方から堂全体を拝見することをおすすめしたい。ゆるやかに、のびやかに、南北に流れる屋根の曲線は、古建築の美しさというものを、しみじみと味わわせてくれるであろう。(解説参照)
「堂全体は「和様」でできているが、少し「禅宗様」のところもある。このお堂の中に、虚空蔵菩薩を安置する「お厨子」があるが、これは純粋の「禅宗様」の建築。美しい木組みが、そのまま残されていて貴重である。この堂は、厨子と共に室町中期の作と推定される。
なお、この寺は独鈷山の南麓にあり、山頂をはさんで独鈷山の北麓には、塩田平の虚空蔵堂(西前山区)がある。独鈷山そのものが虚空蔵信仰の対象ではなかったか−−とは、一志茂樹博士の説である。
 
撮影日:
地区/自治会: 31内村/荻窪
シリーズ: 塩田平の文化と歴史 3口絵
登録されているキーワード: 神社 史跡 観光 
 
Hint - 写真をクリックすると大きな画像が表示されます

[戻る]


[トップ] [地区名で検索] [キーワード検索]



© Ueda City Multimedia Information Center All Rights Reserved.