塩田平とその周辺には、たくさんの石造文化財がのこっている。
国の重要文化財に指定されている常楽寺の石造多宝塔をはじめとし、この書物にのっているものだけでも、奈良尾の「弥勒仏塔」(多層塔)・別所の「将軍塚」(多層塔)・中野の「西行塚」(多層塔)・信濃国分寺多宝塔・中禅寺五輪塔・柳沢「安曽甚太夫石塔」(五輪塔)、さらには県宝に指定されている長門町仏岩の宝篋印塔等、あげればきりがないくらい数えることができる。
しかもそれらはすべて鎌倉時代、もしくはそれに近い時代の形式をそなえている点、きわめて貴重で、”信州の鎌倉”という別称も、実はこうした文化財が、いたるところに見出されることから生れたことばなのである。
これらの石造文化財の中でも、ひときわ目立って雄大な姿を誇っているのが、この「金王五輪塔」である。総高212センチメートルという堂堂たるもの。塩田平はもちろん、鎌倉期のものとしては、県下最大の石造五輪塔といえよう。
五輪塔というものは、かつては貴人の供養塔であった。下から四角な「地輪」、丸い「水輪」、屋根のような「火輪」半円球の「風輪」、ぎぼし形の「空輪」と、五つのそれぞれ異ったかたちの石を重ねてあるので、「五輪塔」というのである。
この五輪塔は、金王丸という鎌倉時代の有名な武将の霊をとむらうために建てられたと伝える。それで「金王五輪塔」と呼んでいるわけだ。(この伝承は、最近史実の上でも確められつつある。解説参照)
水輪の力強い張り出し、火輪の素朴な稜線、水輪に刻まれた梵字にみなぎる力など、いかにも鎌倉時代の五輪塔にふさわしい形体を示し、県下五輪塔の典型たる貫禄充分である。
村人はこの五輪塔を「こんのう様」とあがめ、毎年の祭りを絶やしたことがない。 |