トップ
地区名索引
キーワード検索



 江戸後期の用水路(弘化年間)

弘化4年(1847)の善光寺地震は、上田の町にも被害を及ぼし、井戸水が止まったことが今も伝えられ、絵図も残っている。当時上田藩では、急遽新しい堰を掘り、神川から取り入れた水を生活用水として城下町へ引き込んだ。その一つの「常田堰」は常田村を経て横町へ流入し、そこで4つに分かれたが、常田町(現在の本町)と海野町裏間の約76m(42間)の水路跡は今も残っている。この水路は横町と常田町(本町)の境で、武家屋敷と町屋の境でもあった。水路は石積みで縁取られ、幅・深さとも各60cmで、一部分80cmから1mの箇所もあり、露出された約5mを、柳屋駐車場の一角に見ることができる。
 
撮影日: 平成05年12月
地区/自治会: 03中央/海野町
シリーズ: 上田ところどころ 史跡(その他)
登録されているキーワード: 史跡   
 
Hint - 写真をクリックすると大きな画像が表示されます

[戻る]


[トップ] [地区名で検索] [キーワード検索]



© Ueda City Multimedia Information Center All Rights Reserved.