尼寺跡発掘の手がかり
この石は江戸時代、「にじどう」という場所から発見されたということです。国分寺の柱が戦災などで焼けて、その跡形が礎石に残ったものと聞いています。ちょうど太陽の輪のようなので、「日輪石」と呼んだのでしょう。これだけくっきりと残っているということは、石の素材(成分)にも関係があるかもしれません。
そして、昭和に入って、「にじどう」は「尼寺堂」ではないかと考えられ、その地点一帯が調査され、尼寺跡が発掘されることになるわけです。つまり、国分寺尼寺跡の発掘のきっかけとなった貴重な石といえるでしょう。明治十年には有志によって、この石の台座が寄贈され、現在も国分寺境内に安置されています。なお、境内には「日輪石」以外の礎石がいくつか残っています。
お話(山辺裕夫さん国分) |