通勤・通学の近道に
お話竹田忠一さん(北天神町)
その昔(江戸時代)、この坂の上の屋敷に並河源兵衛さんという人が住んでいて、その下の坂なので「源兵衛坂」と呼んでいます。わたしが小さいころは、この坂の石垣は竹やぶでしたので、ムジナやタヌキ、ヘビがよく出たのを憶えています。近年、急傾斜区域ということで、手すり付きのコンクリートの坂に改修されましたが、一昔の雰囲気とはずいぶん違いますね。
駅へ通じる坂の下の道は、以前生糸商の蔵があり駅方面へ蚕を運ぶ馬車が頻繁に出入りしたので「馬道」と言っていました。今ではとても予想もつかない話です。
また、下水道工事のとき、このあたりから石炭がらが出てきました。昔は、一帯が沼池でしたので、旧国鉄の機関車の石炭がらを埋め立てたものです。この坂も以前は砂地でしたので、大雨のたびに砂が流れ出たものですから、戦前まではここへも石炭がらをまいていました。
今では、朝夕の通勤、通学の近道として、多いときは二、三十人がどっと通りそれはにぎやかなものです。 |