女神岳南麓の野倉は標高約700メートルの高地にあり、山村の面影をとどめている静かな集落です。
沢山湖西南の山頂にある馬伏城は、根小屋城とも呼ばれていますが地形的に見て要塞堅固であり、市峠方面から塩田へ侵入する敵を防ぐのが目的だったと考えられています。
江戸時代の宝永3年(1706)には家数80、人数も378人に増え、耕作のほかに楮を栽培し紙漉きも行っています。切手紙や障子紙を製造する御用紙漉が4人、雑紙を漉く者も7、8人おりました。上田藩に納入する御用紙漉職人が、4人もいた村は珍しいのではないでしょうか。
近年は野倉の夫婦道祖神が有名になりましたが、塩田水上神社境内の道祖神も古風でみやびやかです。穴平への道には賽の河原という場所があり、野の仏たちがまつられています。小さな石の祠を、丸い石でコツコツと打ちながらお祈りすると、耳の病がなおるという耳の神様もここに安置されております。 |