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 上房山の巻

正保四年(一六四七)の「信州上田城絵図」を見ますと、今の東太郎山は房山としるされています。その山の近くにある房山という地名もこの山名に由来しているのでしょう。
戦国時代の房山郷は房山、西脇、諏訪部、踏入にかけての広い範囲でしたが、これをみても古くから山の名にちなんだ行政区画があったことがわかります。
今から四百年ほど前に上田城が築かれ城下町が形成されていきましたが、それを囲む村を建設するため太郎山麓の人々が移住させられ房山村を新しく作りました。
この村が上房山と下房山に分かれたのは弘化年間(一八四四〜一八四七)のころではないかと思われます。上房山の通りから矢出沢川の幸町橋を渡り大輪寺へ真っ直ぐ伸びている道は江戸時代前期には開通しており、その道に沿う幸町も江戸時代からの古い町です。
上房山は上州街道に沿った村でもありました。この街道は真田氏のころは軍用道路でありその後も物資が流通する重要な道でした。街道沿いで上田城下町に隣接している上房山は商人や旅人たちでにぎわった村でした。
 
撮影日:
地区/自治会: 04北部/上房山
シリーズ: 上田ところどころ 地域
登録されているキーワード: その他の文化 その他の交通  
 
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