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 金剛寺の巻

金剛寺は東太郎山の南のふもとを流れる矢出沢川上流にひらけた集落です。江戸時代は金剛寺村と呼ばれていました。昔、金剛山玉蔵寺が村にあったことから山号と寺名にちなみ村の名としたと伝えられています。
今から四百四十四年前の天文十九年、武田信玄が戸石城に拠る村上義清軍と戦って敗退したことは有名ですが、その戸石城の要害の一つ米山城(県指定史跡)が金剛寺にあります。この城は兵食を貯えたところといわれ今も炭化した米や麦が出土することでも知られています。
なお、米山城の村上軍が水を止められたとき、城には飲料水が馬を洗うほど豊富にあることを武田軍に見せるため、米を水のように馬に浴びせ武田軍の目を欺いたという伝説も有名です。
金剛寺峠を越える松代道は、幕末の洋学者佐久間象山が岩門(現上田市)の活文禅師に学ぶため松代(現長野市)から通った道でした。文政十一年(一八二八)象山が十七歳のときのことです。
松代道は明治の中ごろまで金剛寺村と、隣の傍陽村(現真田町)との往来を盛んにし、二つの村は互いに深いつながりがあったとのことです。
 
撮影日: 平成6年6月20日
地区/自治会: 10神科/金剛寺
シリーズ: 上田ところどころ 地域
登録されているキーワード: 史跡 自然  
 
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