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 馬場町の巻

真田氏時代、武士たちが乗馬の練習をした馬場が、仙石氏の時代になると房山の金昌寺付近に移りました。その跡地にできたのが馬場町です。道の両側にいくつかの小路があるのは当時、馬を入れておいた所と言われています。
江戸中期の松平氏時代になりますと、勝俣、布施、山極などの藩医が多く集められ「医者の町」になり、小路には足軽たちの住む長屋も作られました。
明治三十年ごろまでの馬場町は中央の通りを用水が流れ、その両側のヤナギ、ウメなどの並木が美しい町でした。
人工的癌腫の発生や、動脈硬化症、肝細胞癌などの研究で世界にその名を知られる山極勝三郎博士(旧姓山本)は、十六歳のとき、馬場町の医師・山極松庵の養子となり上田中学校を卒業しました。
また、同町出身の小河滋次郎は監獄法の研究で法学博士の学位を受け、大正期には大阪府に社会事業協会や方面委員制度を創立しました。勝俣英吉郎は長野県医師会長、市会議員、上田市長を歴任しましたが、小河と同じく馬場町の医師の家に生まれています。
馬場町の通りの中ほどから、西に入る小路の奥には、晩年に山本鼎(画家・版画家)が住んだ家が残っています。
 
撮影日: 平成03年02月
地区/自治会: 03中央/馬場町
シリーズ: 上田ところどころ 地域
登録されているキーワード: その他の文化 その他の交通 商業 
 
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